・長崎の大浦天主堂を15年振りに訪れ「日本之聖母像」と「信徒発見」レリーフを見てきました
15年振りに長崎を訪れる機会がありました。暑い時期でしたが、中々チャンスはないので思い切って家人と出かけました。今回の訪問予定は、大浦天主堂、シーボルト記念館、浦上天主堂、26聖人記念館とハウステンボスなどでした。久しぶりの伊丹空港ということで、京都からの行き方を調べると大分以前と変わっています。モノレールが伊丹空港まで行っていたのは知っていましたが、阪急電車の南茨木市駅で乗り換えるのが最も便利で、早く伊丹空港に着きました。1時間15分のフライトで長崎空港に着き、長崎空港からはリムジンバスで長崎市内に向かい、ホテルにチェックインした後、市電で大浦天主堂に向かいました。
大浦天主堂は、江戸時代末期の1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物です。正式名は日本二十六聖殉教者堂で、その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。大浦天主堂は二つの歴史的出来事と密接に関わっています。一つは、1597年日本で最初に殉教した日本二十六聖人たちに捧げられた教会です。もう一つは1865年におきた信徒発見です。大浦天主堂が1864年にたてられた翌年2月に、浦上の隠れキリシタン達が信仰告白をして名のりを挙げました。プティジャン神父は大喜びでフランス、ローマに報告しています。
大浦天主堂
市電の大浦天主堂下駅で下車して、石畳の坂を上っていくと間もなく大浦天主堂に着きました。天主堂の入り口には「日本之聖母」像が見え、その上には建設当時の神を表す「天主堂」の文字が見えます。天主堂右の建物は旧羅典神学校で、その右下の建物は
旧大司教館です。
大浦天主堂
南国長崎らしくシュロの木の間から、大浦天主堂が望まれます。現在では観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われています。
信徒発見
石段手前の左側には広場があり、そこにはこの天主堂の大きな出来事の一つである「信徒発見」の記念レリーフがあります。1865年3月17日に、浦上の潜伏キリシタン(12~15名)が大浦天主堂を訪ね、プティジャン神父に密かに信仰者であることを名乗ります。300年間にわたる禁教下での続いてきた信仰が明らかにされた「信徒発見」です。この頃はまだ江戸末期でキリシタンは禁教でした。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされました。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼び、この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっています。
日本之聖母像
信徒発見の翌年(1866年)浦上の信者は大金を持参し、宣教師はお金を受け取らないだろうと心配し、プティジャン神父に「あなた方にささげるのではなく、天主(キリスト)様とマリア様にささげるの」と説明をしてお金を差し出しました。これを受けて神父が信徒発見の記念に、フランスから聖母マリア像を取り寄せたいと話し、彼らは非常に喜んだといいます。
日本之聖母像
これがフランスから取り寄せられたマリア像で、「日本之聖母像」と名付けられ、建物も含めて国宝に指定されています。1945年(昭和20年)8月9日 の 長崎市への原爆投下によって建物は破損しましたが、爆心地から比較的離れていたため焼失は免れました。
大浦天主堂内部
大浦天主堂の内部で、中央祭壇の後ろに十字架のキリストを描くステンドグラスが輝いています。正面右側に、浦上の人々が隠れキリシタンであることを告げ、神父に「マリア様の像はどこか」と尋ねて示されたマリア像があります。
信徒発見の聖母
これが人々に示されたマリア像で、「信徒発見の聖母」と呼ばれています。やや古めかしい色合いのマリア様です。
踏み絵
天主堂を出て横の旧羅典神学校に向かいました。一階にはキリシタン資料室があり、これはそこに展示されていた宗門改めに用いられた踏み絵です。左は十字架のキリストで、右はピエタでしょうか。いくつかあった踏み絵の中には、信者の持っていてメダルを板にはめ込んだものもありました。
大浦教会
入口の石段手前右には、とんがり屋根で赤レンガ造りの大浦協会がありました。大浦天主堂を訪れる観光客数が増加したため、ミサの最中に観光客が見物に入るなど、天主堂内での典礼の進行に支障をきたすようになってきました。そこでカトリック信者および観光客双方に配慮し、大浦天主堂に隣接する土地に新たに大浦教会が建設されました。これによって現在では観光客が信者に気兼ねなく、大浦天主堂を見物しやすくなっています。
大浦教会マリア像
薄いブルーのベールをまとった美しいマリア像です。
大浦教会ステンドグラス
教会内の礼拝堂を見学させてもらいました。中央奥には綺麗なステンドグラスがあり、下から順に受胎告知、キリスト誕生、説教、十字架、処刑、昇天が描かれていました。この絵はもっとも下の受胎告知の場面です。
●少し大きな写真と特性などは、右サイドの 日本の街角 に載せますの
でそちらもご覧下さい。
●関連の記事が 日本の街角 にもありますので、ご覧ください。
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コメント
プロフユキ先生
こんばんは。
大浦天主堂など見事はお写真をありがとうございます。
一度は訪れたいと思っておりましたが、かなわずでした。
続きも楽しみにしております。
お節介ですみませんが、「長崎空港に着き・・・」「伊丹空港からはリムジンバスで・・・」と
なっておりますが?
投稿: マコママ | 2017年7月30日 (日) 17時44分
こんにちは マコママさん
やっとアップできましたが、ミスタイプをしていました。教えていただき有難うございました。
さっそく修正しました
蒸し暑くて坂道の上り下りは大変でしたが、幸い荷物はなかったので何とか休み休み行動しました。
天主堂の前を右に行けばグラバー邸なのですが、以前にも行っているし、今回はコルベ神父
の店に寄りたかったのでカットしました。
また続きをアップしますので、見て下さい。
投稿: プロフユキ | 2017年7月30日 (日) 18時00分
こんばんは。
長崎には、現役時代、何度か出張で行ったものの、観光せずに終わってしまいました。
大浦天主堂も、学生時代、友人と行ったきりで、久しぶりに、懐かしく拝見させていただきました。
さすがに、ここは昔とあまり変わってないみたいですね。
続きも楽しみにしてます。
投稿: ソングバード | 2017年7月30日 (日) 21時59分
こんにちは ソングバードさん
長崎は何か懐かしい街で、今度も暑い盛りでしたが行ってみました。昔ながらの市電も健在でした。
でも坂道はきつかったですね、若い時にはなんでもなかった道がこんな坂道だったとは痛感しました。
大浦天主堂も浦上天主堂も、平和公園も変わりはありませんでした。また紹介しますので見て下さい。
何時も素敵な写真拝見しています。ランキングが不当に低いのではといつも不思議に思っています。
投稿: プロフユキ | 2017年7月31日 (月) 21時54分